そういった集団は書籍やマスメディアへの露出を嫌っているため世に知れることはないが、自分の足で現地に赴くことによってコミュニティーへの門が開かれる。
土地に根差した村社会とは異なり、志や共感を共にできることがコミュニティーを成立させている根幹であるから、外部の者でも門を叩けば受け入れられるのだ。入る者は拒まず、出る者追わずの精神が根づいているのである。
住み込みの農作業アルバイトをしながら北海道を旅行するある若者は独自のコミュニティーに触れる機会を得た。
そのコミュは先住民族の血を引く女性がリーダーとなっており、人々は自然との共生をテーマに魂無き現在社会の制度から解放された環境で生活を営んでいた。
出来る限り衣食住は自給出来るように工夫されており、
享楽・快楽的では無い点で異なってはいるが、さながら映画ザ・ビーチのようなコミュニティーであった。
定期的に行われるカムイノミでは必ず神かかりする人が出て来て、鶴になりきって羽ばたく人やその他の野生動物の行動を取ってトランス状態に入る場面に何度も出くわした。
自身も参加することでなぜだか涙が出て来てしまい、儀式の終わりには不思議な爽快感と心が軽くなるを感じた。
カムイや霊の存在は直接は見ることが出来ないが、火や
神かかりを通じて人間にコミュニケーションを取ってくる。
供物を燃やす火を写真に撮ると、火の形が竜巻のように渦巻いていたり、人の顔の形になっていることが多々あった。不思議に思った若者だが、霊的な存在が火を介して顕れて来ていることを教わった。
自然への畏怖尊敬の念を忘れずに、己の良心に沿って素朴に暮らす人々とその生活に深く心を打たれたが、そこには残らずにまだ見ぬ日本を見るために若者は旅を続けたのであった。


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