ジブリ作品、「千と千尋の神隠し」
その1:40:30辺りの水上の駅のシーン。
ここに一人だけジッとこちらを見ている少女が描かれている
他の乗客が出口へ急いでいる中、この少女はなにを見つめているのだろうか?
そして少女は一体誰なのだろうか?
それはこの2つの説が有力だろう。
1、「火垂るの墓」の節子説
理由は少女の髪型、容姿。
しかし千と千尋は宮崎駿監督であり、火垂るの墓は高畑勲監督である。
この監督の接点は後に説明しよう。
2、「となりのトトロ」のサツキ説
理由は服が似ている事。
(しかし、サツキはオカッパ頭ではない)
[考察]
まずは「千と千尋の神隠し」の世界観だが
冒頭にくぐったトンネルの向こうは、霊(神)達の世界という事らしい。
そして釜じいの「最近は行きっ放しだ」という台詞。
これは「行き=逝く 帰り=(黄泉)還り」なのではないか?
昔は死者の霊は毎年お盆に帰ってきていた。
生者もそれを迎え、送り、かかわりがあった。
最近は近代化・核家族化で、お盆に先祖の霊をまつるという事をしなくなった。
つまりあの行き(逝き)の電車に乗っている影の人達は死者なのであろう。
では節子の説は
映画「火垂るの墓」最後のシーンで兄が駅舎で死亡しており
先に死んだ後、同じく後に死んだ兄を駅で待っているのではないか?という事。
実際にその兄が電車に乗って現代にフィードアウトする?シーンがある。
そう、【お盆に先祖の霊をまつるという事をしなくなった】現代に。
死んで先に行き(逝き)の電車に乗った節子。
そして下車し、未だに電車に乗ってこない
死んだ兄を待っている…。
サツキの説はこうだ。
「実はサツキとメイはサンダルが見つかった池で溺死している」という「トトロ死神説」。
その説だと「地獄巡り」をする事になってるサツキ。
一般人の霊が降りる駅で改札を出ずに地獄行きの電車への乗りかえ待ちをしているのだろう。
その後の詳細は少々割愛する。かなり深い内容の為、各自で調べて頂きたい。
また電車は、猫バスを想起させるように水の上を走り、死者の霊を運んでいる。
しかも電車は「水路面電車」と表記できる。
つまり駅は路面電車なので停留所…
バスの駅は停留所…
[監督が違う]
そして問題は監督が違う事。
「火垂るの墓」の高畑と「千と千尋の神隠し」の宮崎の接点は?
これは「火垂るの墓」のWikipediaから抜粋する。
映画『火垂るの墓』は、1988年の公開時、宮崎駿監督作品『となりのトトロ』と同時上映されている。
先に企画された『となりのトトロ』は、当初、60分程度の中編映画として企画されており、単独での全国公開は難しかった。
そこで同時上映作品として高畑勲監督作品『火垂るの墓』の企画が決定したという経緯が伝えられている。
そう、同時上映されたのだ。
そしてこの後におもひでぽろぽろをこの2人は合作する。
宮崎が監督。高畑がプロデューサー。
どうです?
少女の正体、分かりましたか?


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