幽霊石碑
昭和50年7月、茨城県守谷町(当時)の公民館の広場の一角に不動明王を彫った石碑があった。(現在でもあるかどうかは未確認)。
この公民館でソロバンを習っていた小学5年生の女の子が家に帰ってきた時、
「公民館の石碑におじいちゃんの顔があった。」
と両親に言い出した。
この子のおじいちゃんは3年ほど前に亡くなっている。まさかおじいちゃんの霊が石碑に浮き出てきたのだろうか?と思い、我が子の言うことなので、両親も含めて家族でその石碑を見に行った。
「確かにおじいちゃんの顔だ。」「いや、似てないよ。女の子の顔よ。」
などと言っていると、近くにいた人たちが寄って来て
「猫に見える」「子供の顔だ」「3人いる」「坂上二郎に似ている」「女の子の下に猫がいる」「坊さんだ」
などと、人によっててんでバラバラなことを言う。このようなことをやっているうちに見物人が次々と増えていった。
「自分には○○に見える」と、見物人たちも様々なことを言い出した。
瞬(またた)く間に噂が広がり、この石碑の顔は町では有名な話となった。
どこで聞きつけたのか、「石碑に顔が浮き出た」ということで、7月10日から新聞やテレビが取材に訪れた。7月30日には「東京中日スポーツ」に掲載され、その他の雑誌にも掲載され、NHKでも放送された。
石碑に浮き出た顔は人によって見え方が違う。しかし誰でも何らかのものは見える。では、自分には一体何に見えるのだろう?
こういった心理が人々の興味をかきたて、新聞やテレビを見た人たちが東京からもぞくぞくと見物に訪れた。
ピークの時には公民館の広場には1万人もの人々が詰めかけた。市ではその対応に追われ、臨時駐車場を作り、警察と役場の職員が交通整理をしなければならなかった。
だが整理をしても、地元の人と見物客の間で駐車場をめぐるトラブルが多発し、あちこちでとっくみ合いのケンカも起こった。地方から車でやって来た若者が人身事故も起こした。
幽霊を見に来た暴走族と暴力団が衝突した。石碑の写真を1枚100円で販売する者もいた。焼きそばとかき氷の屋台も出て、本来なら心霊スポットとなるべき不気味な場所は、お祭り騒ぎの大混乱となった。
最終的には誰かがこの石碑に塗装して顔を消してしまい、騒ぎは収まった。
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