アルカンシエルの呪い


世界選手権男子エリートロードレースで優勝した選手が翌年には大きく成績を落とすというケースが少なくない。

これは優勝者は向こう1年間、アルカンシエルを着用して全てのレースに出場することが許されるため、

クラシックレースなどのワンデイレースではアルカンシエル着用者が最も目立つ存在となるほか、

グランツールなどのビッグレースにおいても総合首位(マイヨ・ジョーヌ、マリア・ローザ、マイヨ・オロ)、ポイント賞、山岳賞など各賞ジャージの着用者に次ぐ存在感を示すことになる。

そのため当然のように他チームからは実力者とみなされて厳しいマークに遭いやすくなるうえ、

そのレースの成績に関係なしにマスコミから格好の「標的」とされるケースがままあり、その結果、アルカンシエルの重圧に耐え切れなくなって調子を落とす場合が多いためである。

また、なぜかレース中の落車事故やメカトラブルが頻発したり、レース外でも世界選手権優勝経験者は家庭不和や事故、病気に罹患するなどのトラブルが起きることなどから

「アルカンシエルの呪い」

というジンクスもまことしやかに噂されたりする。

主な例として

スタン・オッカー……1955年に優勝したが、翌1956年にアントウェルペンで開催されたトラックレースにおいて事故死。

ブノニ・ブエイ……1963年、22歳のときに優勝したが、その年、リック・バンローイに史上2人目の3度目のプロ世界一をもたらすべく、ベルギーチームが作戦を立てていたにもかかわらずそれを無視して勝利を収めたことが後々禍根となり、1966年以降は全く活躍の場がなくなった上に、1968年にまだ28歳の年齢で引退を余儀なくされた。

トム・シンプソン……1965年に優勝したが、2年後のツール・ド・フランス1967で急死。原因はドーピング。

ハーム・オッテンブロス……1969年に優勝したが、1976年に自殺未遂を起こし、レースキャリアを絶たれる。

ジャンピエール・モンセレ……1970年に優勝したが、翌1971年3月、レース(GPレティエ)中に事故死。

エディ・メルクス……1974年に個人ロードレース優勝の他、ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランスでも総合優勝を果たし、史上初となる、トリプルクラウンの大偉業を達成したが、翌1975年のツール・ド・フランス第14ステージにおいて、沿道にいた観客に殴られたことなどが原因で総合2位に甘んじて以降、「カニバル」(人喰い)とまで畏怖された強さがなくなってしまった。

グレッグ・レモン……1983年に優勝したが、4年後の1987年4月、狩猟中に仲間から誤射され瀕死の重傷を負う。 また、1989年にも優勝したが、体内に残った散弾による鉛中毒と見られる筋肉疾患により引退を余儀なくされる。

ステファン・ロッシュ……1987年に、メルクス以来となるトリプルクラウンの大偉業を達成したが、翌年のツール・ド・フランスのチームタイムトライアルでスタートに遅刻し失格。以降も膝の故障に悩まされ続け、これといった活躍機会は訪れなかった。

ルディ・ダーネンス……宇都宮で行われた1990年のプロロードチャンピオン。8年後の1998年、交通事故で他界。

ジャンニ・ブーニョ……1991年、1992年と二年連続で優勝するが、翌年から極度のスランプに陥る。その後家庭不和により離婚。

ランス・アームストロング……1993年に優勝したが、3年後に癌を発病。

リュク・ルブラン……1994年に優勝したが、翌シーズン開始直後に所属チームのスポンサーが破産しチームが消滅。シーズン中盤以降のレースにすべて出場できなくなった。

ヨハン・ムセウ……1996年に優勝したが、翌年のロンド・ファン・フラーンデレンで撮影バイクに追突されて車輪を破損。パリ〜ルーベでは圧倒的に有利な展開に持ち込みながらゴール直前でパンクして優勝を逃した上、1998年の同レースで膝蓋骨複雑骨折の重傷を負った。その後オートバイを運転中に頭蓋骨骨折の事故を起こす。

ローラン・ブロシャール……1997年に優勝したが、翌年にチームぐるみのドーピングが発覚し出場停止となる。

ヤン・ウルリッヒ……2001年のタイムトライアル部門で優勝したが、翌年膝を故障。さらに交通事故を起こしたうえ、抜き打ち検査でドーピングが判明してチームから解雇された。

イゴル・アスタルロア……2003年に優勝。翌2004年にまずコフィディスに移籍したが、チームぐるみのドーピング疑惑が持たれたため、問題が解決するまでチーム活動の停止を余儀なくされた。そのため急遽、同年5月にランプレに移籍したものの、同年シーズン限りで契約を打ち切られる。

トム・ボーネン……2005年に優勝するが、翌年恋人と破局したうえ、交通事故を起こす。

パオロ・ベッティーニ……2006年、2007年に優勝したが、2006年の大会終了直後に兄を交通事故で亡くしている。また2007年には世界選手権で使用したマシンがチームの車ごと盗まれた。

アレッサンドロ・バッラン……2008年に優勝したが、2009年春先にウィルス性の胃腸炎にかかり、春のクラシックシーズンを棒に振る。その後2010年にドーピング疑惑が浮上し出場自粛。

カデル・エヴァンス……2009年に優勝。2010年はフレーシュ・ワロンヌで優勝するなど順調に見えたが、ジロ・デ・イタリア第2ステージでマリア・ローザを獲得した後の第3ステージで強風による集団分断で脱落。さらには大会後半には発熱し総合5位に終わる。その後のツール・ド・フランスでは第8ステージでマイヨ・ジョーヌを獲得するも、そのステージでの落車が原因で左肘を骨折。翌第9ステージで大きく遅れ、最終的に総合26位に終わる。

などがある。

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